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2008年01月07日

ヒョーケンギョー

ヒョーケンギョー
 今日は「ヒョーケンギョー」、地区の遊園地に小・中学生と父兄が集まっていました。

 正月七日はヒョーケンギョーゼックともいい、オニビタキとも言う。行事は全て小・中学生だけで行っていた。
 前日の正月六日に、各家を訪問し「ヒョーケンギョー藁をもらいに来た」と言って藁を一、二把もらって歩く。各家でも「藁取りに来るばいね」と、準備している。
 真竹と、中心に使う孟宗竹を、個人の山から持ち主に告げずに、勝手に切ってくる。薪も個人の山から黙って取ってくる。また、炭焼きで不要になる小枝ももらってきていた。切るのは上級生である。
 また、原野に自生しているカンネカズラ(葛:クズ)取って来て神社の湧き水の小池に浸けて置き、保存してする。これは、カンネカズラのツルを腐らせて、繊維質だけを取り出すために行う。この繊維で集めてきた竹の芯に集めてきた藁や薪・小枝を、縛り付ける。
 
 今は、チップ材の屑をもらって、子供クラブの役員と小・中・高校生がしている。昭和60年代まではヒョーケンギョーに参加出来る者は中学生までだった。
 作る場所は、原発道路沿いの遊園地、昔は地区の真ん中の田圃や道路などだった。そこに円錐形の竹と薪と藁の建築物を作る。
 正月六日には作り上げ、七日の晩(夕方薄暗くなったころ)に、火を点けていた。
 家によっては冬のうちに荒神様の藁エビを作り、前年のと取り替えておき、古いのはヤマの隅にでも置いておく。この藁エビや、注連飾る、ワカキムカエの木、門松などを子供に持たせて行かせ、ヒョーケンギョーで一緒の燃やす。トシギはくべないという。
 大人は見に来る人が少々いた程度で、ヒョーケンギョーは子供だけの行事だった。この火にあたると一年中風邪をひかないという。
 子供達はヒョーケンギョーをしながら、その火で餅を焼いて食べていた。正月に供えた餅を下げてきて、焼けて倒れた竹の先端を尖らせて、モチヤキとかモチサシと称する竹串を作り、これに餅をさして焼いたり、火勢が弱まったらオキ(燠)を手前によせて、石を両側に置いて上に金網を渡し、餅を載せて焼いていた。その場でも食べたし、家にも幾つか持って帰る。この火で焼いた餅を食べると家内繁盛など御利益があると言い、牛にも与えていた。モチサシは、餅を焼いたら火にくべてしまう。
 後片付けは、現在、子供クラブの役員と子供達で行っている。昔はある程度消えるまで、上級生が残っていて、焼いた後に土を被せていた。燃え残りはほとんど無く、灰が残る程度だある。燃え切るまでの間は、神社の蘇鉄の実を取ってくる「肝試し」等して時間を潰した。田で行っていたころは、灰は田に撒いて肥料代わりにしていた。



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Posted by 昏君 at 21:15│Comments(0)佐賀県
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