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2008年03月18日

武雄患者射殺事件、初公判。

 あの理不尽な事件が起きてから半年近く経ちます。
 その後犯人も捕まり、昨日3月17日は初公判でした。
 裁判後の記者会見で、被害者の奥さんの「被告人を死刑にして欲しい」の言葉に、事件に対する怒りを強く感じました。
 遺族にとってはこれからまた、辛い日々が続くなかと思うと居た堪れない思いがします。

※関連日記
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◎佐賀新聞(2008/03/18)
 今田被告、起訴事実認める 武雄患者射殺事件

 昨年11月、武雄市の病院で入院患者の男性を対立暴力団の関係者と間違えて射殺したとして、殺人罪などに問われた指定暴力団道仁会系組員、今田文雄被告(61)の初公判が17日、佐賀地裁(若宮利信裁判長)であり、今田被告は起訴事実をすべて認めた。

 これまでの調べで、被害者の建築板金業宮元洋さん=同市山内町、当時34歳=に暴力団とのつながりはなく、検察は起訴状で宮元さんが人違いで殺されたと指摘。今田被告は罪状認否で「間違いありません」と述べ、遺族に対し「殺してしまったことについては一言の弁解のしようもない。心からおわびします」と謝罪した。

 起訴状によると、今田被告は、対立する指定暴力団九州誠道会の関係者を殺害しようとし、昨年11月8日午前7時40分ごろ、武雄市の病院に侵入。2階個室に入院していた宮元さんを暴力団関係者と誤認して拳銃を発射、2発を命中させて殺害した。

【写真】武雄入院患者殺人事件の初公判で、佐賀地裁に入る今田文雄被告を乗せたと思われるワゴン車=17日午後
武雄患者射殺事件、初公判。

▼人定あいまい、犯行経緯明らかに

 入院患者射殺事件の初公判で、今田被告は人違いで宮元洋さんを射殺したことを認めた。なぜ、一般市民を暴力団関係者と間違えたのか。検察は冒頭陳述で、今田被告が狙いを付けた対立組織の関係者の顔などを知らず、あいまいな情報をもとに殺害を計画し、犯行に及んだ経緯を明らかにした。

 今田被告は昨年8月、殺された道仁会3代目会長の報復を決意し、拳銃を入手。九州誠道会トップの村上一家総長を殺そうと計画。ところが居場所などの情報を得られず、10月ごろ「村上一家の企業舎弟」が武雄市の整形外科の3号室に入院中との情報を得たため、狙いを切り替えた。

 所属する松永組関係者らを連れて2度病院の下見をしたが、いずれも外観を眺めただけ。暴力団関係者の顔や実際3号室に入院している人物の名前も確認せず、犯行に及んだとしている。

 事件当日、今田被告は病室に踏み込むと、無言のまま宮元さんに拳銃で2発撃った。今田被告は「その人を見るのは初めてだったが、3号室の人に間違いないと思って撃った」と供述している。

 大きな悲鳴を上げ、ベッド下へ逃げ込もうとする宮元さんを、今田被告は腰をかがめてさらに2発発射。駆けつけてきた看護師に廊下で会うと「何か大きな音がしましたね」と言い、平然と病院を出たという。

▼「最も重い罪望む」 遺族が会見

 武雄市の入院患者射殺事件で、被害者宮元洋さん=当時34歳=の妻篤紀さん(35)が17日、佐賀地裁の初公判を傍聴後、記者会見した。「初めて事件のことを詳しく聞いて、洋君は怖かっただろうなと思いました」。見知らぬ男に突然銃口を向けられた夫の恐怖を思い、涙ながらに語った。

 篤紀さんは、バッグに宮元さんの写真をしのばせ、家族と親類6人で傍聴した。公判中は気丈に前を向いていたが、検事が詳しい殺害状況を述べ、大型モニターに生前の宮元さんの写真が映し出されたときには、こらえ切れず涙をぬぐった。

 法廷で検事が述べた証言では「私の夫は暴力団抗争がなかったら死ななかった。同じような犠牲者を出さないためにも、最も重い罪を望んでいる」と今田被告の極刑を望んでいた篤紀さん。

 閉廷後、記者から「今田被告の謝罪を聞いた今も同じ気持ちか」と問われると「わたしの一番大切な人を殺したのだから、気持ちは変わらない」と述べ、謝罪内容についても「弁護士が準備したものと思うので、何とも思いません」。そう言い切った。

【写真】初公判を終え、宮元洋さんの遺影を置いて会見する妻の篤紀さん=県庁
武雄患者射殺事件、初公判。

 ■武雄市入院患者射殺事件

 昨年11月8日朝、武雄市朝日町の整形外科2階病室で、入院患者の同市山内町、建築板金業宮元洋さん=当時34歳=が男に拳銃で撃たれ、死亡した。男は拳銃を持ったまま車で逃走。県警は同月22日、指定暴力団道仁会系組員今田文雄被告(61)の逮捕状を取り、その3日後に福岡県警が福岡県内で別の発砲事件を起こした今田被告を現行犯逮捕。佐賀県警が12月16日、殺人容疑で再逮捕した。佐賀地検は1月7日、今田被告を起訴し、「宮元さんを対立暴力団の関係者と人違いして射殺した」と指摘した。


◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その1】

【事件の経緯】
1、抗争の経緯
 指定暴力団道仁会は、2代目会長松尾誠次郎の引退に伴う後任人事案を巡り、平成18年5月初旬ごろから内部対立を深め、同月18日ごろ、松尾組組長松尾義久の道仁会3代目会長への襲名が発表されると、道仁会内の最大勢力であった村上一家らはこれに強く反発した。

 そこで、道仁会は村上一家総長らを絶縁処分にしたが、村上一家側は道仁会から脱会して同年6月に九州誠道会を結成し、道仁会は内部分裂した。

2、被告人と道仁会の関係
 今田文雄被告は、昭和40年ごろから暴力団員として活動し、昭和60年ごろ、当時は道仁会松尾組内の大中組組長だった松尾義久に誘われ、大中組傘下の柴田組組長となった。

 昭和62年ごろ、今田被告は、執行部と対立して大中組から絶縁処分を受けたが、その後も配下を引き連れて暴力団同然に活動した。

 平成4年ごろ、道仁会は、当時の松尾組組長松尾誠次郎が3代目会長に就任し、松尾義久は松尾組の2代目組長となった。

 また、平成12年ごろ、大中組は松永組へと名称を変更し、平成15年ごろ、今田被告は、道仁会松尾組(組長松尾義久)傘下の松永組に、組織委員長として迎え入れられた。

3、抗争状況
 平成18年5月21日、道仁会本部や今田被告の所属する松永組等5カ所への同時多発銃撃事件が発生すると、同月24日には、村上一家傘下の暴力団組事務所に火炎瓶が投げ込まれて同事務所が全焼する事件が発生するなど、同年中に、道仁会側に対しては、合計7件の銃撃事件や爆発物投てき事件、殴打事件が発生して道仁会系組員ら5名が負傷し、九州誠道会側に対しては、合計3件の銃撃事件や放火事件が発生して、組長1名が負傷した。

 また、平成19年6月、佐賀県内の久保田町で九州誠道会系の鶴丸組組長刺殺事件、熊本市内で道仁会系組員による九州誠道会系忠真会会長代行射殺事件が発生し、同年7月には佐賀県唐津市内で九州誠道会系田口組事務所への爆発物投てき事件が発生した。

 同年8月18日、福岡市内で、道仁会3代目会長松尾義久は、九州誠道会村上一家組員らにより、けん銃で頭部等を撃たれて射殺された。

 これに対し、その翌日には、熊本市内で、道仁会系組員らが、九州誠道会系忠真会会長を銃撃し、同人は重傷を負った。

 本件殺人事件発生後の平成19年11月24日、九州誠道会村上一家系の古賀組組長が射殺されると、同月27日には、道仁会系大平組組長が射殺、組員が刺殺されて合計3名が殺害された。

 本件は、こうした道仁会と九州誠道会の対立抗争のさなかに、道仁会に属する今田被告によって敢行された事案である。

◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その2】

【犯行現場の状況】
 犯行現場の篠田整形外科は、佐賀県武雄市内中心部に近く、幹線道路に面しており、周辺には住宅や店舗が多く存在するほか、付近の道路は小中学生の通学ルートであった。

 篠田整形外科は2階建てで、1階には診察室やリハビリ施設、待合室があり、2階には手術室のほか、大部屋を含む19の病室があった。

 また、1日当たりの通院患者は約400名で、待合室には、早朝から数多くの通院患者らがいた。

【殺害に至るまでの被害者の状況】
 被害者は、仕事の合間を見つけては子供たちとキャッチボールや釣りをし、子供たちの学校生活や家庭内での日常生活についても熱心に指導していたほか、武雄市の消防団に所属するなど地域へも貢献していた。

 また、被害者は、暴力団組織及びその関係者とは一切関係がなかった。

【暴力団関係者の入院、被害者と病室が入れ替わった経緯】
 篠田整形外科では、平成19年10月11日、九州誠道会永石組の関係者が入院して個室の3号室に入った。同人は、スナック等飲食店を経営する会社の役員を務め、病室には飲食店関係者など派手な身なりをした人物が数多く出入りしていた。

 10月中旬ころ、同人は部屋が比較的広い1号室への移動を求め、篠田整形外科は被害者に対し、病室の入れ替えを打診。被害者はこれを承諾し、同月23日、被害者と上記暴力団関係者の病室は入れ替わった。以後、被害者は、11月8日の本件当時まで3号室を使用。上記暴力団関係者は、1号室を使用した後、11月3日に退院した。

【殺害決意の経緯】
 今田被告は、平成19年8月に道仁会3代目会長松尾義久が殺害されると、その報復を企て、同月下旬ころ、本件犯行に使用した38口径回転弾倉式けん銃1丁を含むけん銃2丁と、それぞれのけん銃に適合する多数の実包を入手した。

 今田被告は、村上一家総長の殺害を意図したが、その所在等の具体的情報を得られなかった。同年10月ころ、今田被告は、「村上一家の企業舎弟」が佐賀県武雄市内の篠田整形外科の3号室に入院中であるとの情報を得た。

 今田被告は、その暴力団関係者を殺害しようと企て、事件当日同行した女性Aを連れて1回、松永組関係者を連れて深夜に1回、篠田整形外科の付近まで下見に行ったが、外観を眺めただけで、建物内に入らず、3号室などの病室は2階にあるだろうと推測するだけであった。今田被告は、その暴力団関係者の顔写真も入手しておらず、3号室に誰が入院しているかの確認もしなかった。

 さらに、今田被告は、その暴力団関係者が病室を変えたことについても情報を得ておらず、結局、本件殺人事件の当日まで2階3号室には、九州誠道会の暴力団関係者が入院していると思い込み、本件犯行に至った。

【使用けん銃と実包】
 犯行に使用されたけん銃は、トーラス社製の38口径回転弾倉式けん銃であり、弾倉には5発の弾丸を装てんできる構造になっていた(以下、「本件けん銃」という。)。本件けん銃は、撃鉄部分がないため、弾丸を装てんしたまま着衣内に隠し持っても、撃鉄が着衣内で引っ掛かって暴発するおそれがないけん銃であった。

 今田被告は、本件けん銃とともに、11発の適合実包を入手しており、本件前に1発を試射して、発射機能があることを確認した上、5発の弾丸を弾倉に装てんして、以後、持ち歩いていた。

 また、犯行時、被害者に向けて発射された弾丸は、いずれも米国オマーク社製の完全被甲弾(トータルメタルジャケット)であり、通常の弾丸よりも強い威力を有する弾丸であった。

◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その3】

【犯行現場に赴いた状況】
 今田被告は、当時、破損したフロントバンパーに脱落防止のためガムテープを貼ったクラウンを使用しており、また、無免許であった。今田被告は、そのクラウンをAに運転させ、同年11月8日深夜、福岡県内の太宰府インターチェンジから高速道路に入り、同日午前3時過ぎ、武雄市内に入ると、付近のラブホテルに宿泊した。

 今田被告は、同日午前7時25分、Aとともにラブホテルを出て、マックスバリュー武雄店に立ち寄り、同所でAを下車させた後、自ら運転して篠田整形外科へ向かった。今田被告は、弾倉内に5発の実包を装てんした本件けん銃を上着の左ポケット内に入れて隠し、手袋をはめ、午前7時38分、篠田整形外科に到着した。

【犯行の状況】
 今田被告は、午前7時39分11秒、正面出入口から病院内へ入り、階段で2階へ上がると、3号室の引き戸式ドアを開け、室内へ踏み込んだ。3号室は奥行きが4・25メートルで、被害者は3号室の窓際にいて、今田被告とほぼ正対する姿勢で立っていた。

 今田被告は、初対面の被害者の名前を確認することもなく、即座にポケット内から本件けん銃を取り出し、被害者まで約3メートルの位置から、ほぼ水平に、銃口を被害者の上半身に向け、無言のまま2発発射した。

 この2発の弾丸のうち1発は被害者の右肩を貫通し、他の1発は被害者に命中せず、いずれも窓ガラスを貫通して、50メートル以上離れたグリーンコープ生協さがたけおセンターの建物内外に着弾した。

 被害者は、大きな悲鳴を上げながら、ベッド下へ逃げ込もうとしたが、今田被告は、床に這いつくばるようにした被害者に向けて、なおも2発の弾丸を立て続けに発射した。

 その結果、1発は被害者の左前胸部に命中して背部右外側から体外へと貫通。他の1発の弾丸は、ベッドの金属製の枠などに当たり、病室内に遺留された。

【死因】
 被害者の死因は、左前胸部に命中し、身体を右斜め下へ貫通した弾丸が、心臓直上の動脈や右肺を損傷したことによる失血死であった。

【逃走状況】
 今田被告は、本件けん銃を両手で後ろ手に隠し持ち、何事もなかったかのように他の入院患者や看護師らの面前を平然とゆっくり歩き、午前7時41分57秒、正面出入口から出た。

 今田被告は、佐賀県内を逃走中、Aの携帯電話を用いて、松永組周辺者や松永組事務所へ電話をかけ、さらに、自らの携帯電話でも、松永組組員や松永組組長に電話をかけた。今田被告は、福岡県内の筑紫野インターチェンジから一般道へ出ると、携帯電話で再び松永組周辺者と連絡を取り合った。そして、今田被告は、上記クラウンを同日中に、何者かを介して福岡県内の解体業者の元へ持ち込み、解体処分した。

【逮捕の状況】
 今田被告は、平成19年11月25日午前零時すぎ、福岡県大野城市内で、職務質問の福岡県警警察官ともみあいになって、けん銃1発を暴発させ、同日午前0時52分、銃刀法違反で現行犯逮捕された。けん銃は、被害者殺害に使用された本件けん銃と、発射弾丸の線条痕が一致している。



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Posted by 昏君 at 21:02│Comments(0)佐賀県
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