てぃーだブログ › 閑甚日記inてぃーだ › 2008年01月

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト


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2008年01月25日

日本最西の埴輪窯

 "俑"とは人や動物等に模した造形物で、墓の副葬品に使われる。素材により陶俑・木俑・土俑に分けられます。
 "俑"の最高傑作はやはり、『秦の始皇帝陵』『兵馬俑』で有る事に異議に有る人は居ないと思います。
 しかし"俑"中国だけではなく、類する物は世界中に存在します。
 その中でも『埴輪』は日本独自の"俑"ではないでしょうか。あのどこかユーモラスで簡素化された造形は、世界にも稀だと思います。
 その『埴輪』の日本国内では最西端に位置する窯が、佐賀県唐津市で発見されました。地元の古代史ファンにとっては、まさにゾクゾクする発見です。



◎佐賀新聞(2008/01/25)
 埴輪の焼成窯発見 佐賀県内で初

 唐津市浜玉町の仁田古墳群で、古墳時代中期(5世紀代)に埴輪(はにわ)を焼いた「埴輪窯」が県内で初めて見つかった。山の斜面をトンネル状に掘りこんだ登り窯で、九州で初めて埴輪窯の天井の形が判明。県内の各種の窯跡では最も古い。内部に大量の埴輪の破片が残っていた点が特長で、発掘調査を進める県教委は「九州で見つかった埴輪窯の構造や、当時の焼成作業の様子を考える上で貴重な資料」としている。

 埴輪窯は近畿と関東地方に集中し、九州では福岡県の7遺跡から9カ所見つかっている。今回見つかった埴輪窯は国内では最も西に位置。内部に残された埴輪の形の特長などから5世紀代の窯と特定され、これまで県内最古とされていた須恵器を焼いた登り窯(6世紀後半)より古いことが分かった。

 西九州自動車道建設に伴う同教委と唐津市教委の調査で、昨年10月に同古墳群の西端で発掘。地表から約1メートルの位置にあり窯の全長は8・6メートル、幅は最大で2・1メートル。

 発掘調査では、窯の天井部分にあたる土がアーチ状に焼けていることを発見。九州の埴輪窯で初めて天井の形状を確認し、窯の断面が半円形で高さは1・2メートルあることが分かった。窯の内部からは円筒埴輪や家の形の埴輪などの破片数百点を発見。埴輪の並べ方や一度に焼いた個数を調べる材料になるとみている。

 周辺には谷口古墳(国史跡)や経塚山古墳など4―5世紀代の古墳が密集し埴輪が出土しているが、年代の違いから、今回見つかった窯で焼かれた埴輪の供給先は分かっていない。県教委は「どの首長墓のために焼かれたかが判明すれば、当時の有力者の力や社会構造の解明につながる」と話す。

 佐賀大の佐田茂教授(考古学)は「当時の窯の形をよく残し埴輪の製作展開を考える上で重要な発見。登り窯は当時の先端技術で、唐津地方の有力者が積極的に新しい文化を導入していたことがうかがえる」と評価する。現地説明会は27日のみ午前10時から開く。

【写真上】西九州自動車道建設に伴い発掘調査を行っている仁田古墳群で見つかった埴輪窯=唐津市浜玉町の渕上・谷口地区


【写真下】登り窯から見つかった叩目の入った円筒埴輪=唐津市中原の唐津中原発掘調査事務所


  


Posted by 昏君 at 22:42Comments(0)佐賀県

2008年01月19日

時代の流れだけど…

 佐賀県で唯一の「丸坊主」中学校が廃止されます。
 私の通学生の頃は男子中学生は全員「丸坊主」、はっきり言って嫌でした。
 ですから高校生になって髪が伸ばせて、本当にい嬉しかった思い出が有ります。
 でもイザ無くなるとなると、寂しいですね。
 オジサンにノスタルジーでしょうかね。


◎佐賀新聞(2008/01/19)
 川副中、県内唯一の丸刈り規定30年ぶり廃止

 佐賀市の川副中(村上良秀校長、481人)は、県内中学で唯一続けてきた男子の丸刈りを廃止した。「恥ずかしい」「髪形を選びたい」。そんな生徒の思いをくんだ約30年ぶりの頭髪の自由。見直しを主張した3年生の卒業式前に学校側が応えた。

 川副中は1979年、「非行の未然防止策」として丸刈りを導入。当時、喫煙や飲酒など問題行為が頻発していた。「外見で大人と区別をつけることで、生徒に自制を促し、周囲も注意できる」。他校が人権や個性重視を理由に取りやめる中、継続してきた。

 存廃についての論議は何度となく校内外であり、昨年5月の生徒総会であらためて、ある3年のクラスが「長髪を認めてほしい」と要望した。

 それを受け、当時の生徒会が学校との協議を開始。秋には全校生徒と教職員を対象に賛否を問うアンケートをとった。「伝統を守るべき」という声があった一方で、「時代的におかしい」「丸刈りの中学には通いたくないという小学生がいる」など、廃止を求める意見が9割近くに上った。

 学級討議や生徒集会も開いた。他校の校則を調べ、丸刈り規定を「中学生らしい清潔感のある髪形」に改正する案も作成。今月9日の臨時生徒総会で決議した。

 学校側も並行して対応を検討し、PTAとの協議も重ねた。その結果、丸刈り廃止を決定し、生徒と保護者に16日、伝えた。村上校長は「生徒たちの頑張りに、任せてもいいと思った」と話す。

 かつて同校が「頭髪自由校」だったころを知る現PTA会長の江頭修さん(54)は「丸刈りは強制すべきではない。廃止には大賛成」と語る。

 卒業式は3月14日。前生徒会役員の江島武君(14)、栗林宏次君(15)らは「今回のことで川中(かわちゅう)がまとまった」と話し、「いい雰囲気を引き継いでほしい」と後輩たちに願う。

【写真】丸刈り廃止に奔走した川副中の前生徒会メンバーら=佐賀市の同校

  


Posted by 昏君 at 21:53Comments(0)佐賀県

2008年01月15日

400年ぶりの大規模修復

 江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった『唐津城』は、別名・舞鶴城(まいづるじょう)とも称される美しい城です。
 今年は築城400年に当たりますが、本丸の石垣がせり出し、すき間が空くなどの損傷が進んでいます。
 このままでは崩落の危険も有り、来年度から約5年をかけ修復されます。
 
 しかし、400年もの間耐える石垣を人力だけで築き上げた先人達の力には、ただ脱帽するしかありません。





◎佐賀新聞(2008/01/15)
 唐津城石垣修復へ 予算10億、全国最大規模

 唐津市は新年度から、損傷が進み崩落の危険性が指摘されている唐津城の石垣の修復工事を始める。約5年をかけて本丸の石垣のうち約1200平方メートルを解体して積み直すもので、総事業費は約10億円。城の石垣の修復としては全国でも最大規模となる。今年は築城400年にあたることから、市は「見学会を開くなど、工事の様子を市民に見せる方法を検討したい」と記念事業の一環としてPRにも力を入れる考えだ。

 江戸時代初期に築城された唐津城は、本丸の石垣がせり出し、すき間が空くなどの損傷が進んでいる。専門家は石垣内部に盛られた砂が、長い年月を経て石垣の内側に積まれている石の間に詰まり、雨水が排水されずに石垣を外に押し出した可能性があると指摘する。天守閣は地面を掘って打った16本の基礎杭(くい)で支えられており、石垣にはほとんど重量はかかっていないという。

 市は2005年10月に本丸の東、西、南側の石垣の測量、調査に着手。06年6月には城郭の専門家らによる石垣修復専門委員会を立ち上げ、修復工事の工法などを検討してきた。

 市は同年中にも工事の方向性を決める方針だったが、石垣を解体した場合の耐震性の検討に時間がかかったことで、昨年3月までの3回の専門委員会では結論は出なかった。市は本年度実施した調査をもとに近く耐震性の検討結果をまとめ、2月に予定する4回目の委員会で工事の基本方針を固める方針。

 工事着工は6月ごろの予定で、新年度は工事用の通路の造成などが中心。09年度から始まる本格的な石垣修復作業では、周囲に足場を組んで上から順に解体する。専門委員会の委員を務める高瀬哲郎・県立名護屋城博物館学芸課長は「初めての本格的な石垣修復で、これまで分からなかった本丸の構造の解明にもつながる」と話す。

 唐津城 唐津藩初代藩主・寺沢志摩守広高が1602(慶長7)年から1608(同13)年にかけて築城したとされ、瓦など名護屋城の解体資材を用いたと伝えられる。5層5階地下1階の天守閣は1966年に建築されたが、天守閣は存在していなかったことが確認されている。

【写真】修復する範囲を示すロープが張られた唐津城の石垣=唐津市
  


Posted by 昏君 at 23:32Comments(0)佐賀県

2008年01月11日

やっぱり温暖化?

 佐賀は暖かいです。
 この時期にゴキブリが野外で、元気に外で活動していました。
 んー、やっぱり温暖化なのかなー…。


◎佐賀新聞(2008/01/11)
 3月並みの陽気 サザンカの小枝でメジロ大忙し

 県内は10日、高気圧に覆われ晴天が広がり、佐賀市で最高気温が平年より5・7度高い15・5度を記録。3月下旬並みの陽気となり、コートをぬいで街を歩く人が目立った。

 このポカポカ陽気に誘われて、佐賀市の神野公園では、野鳥たちの動きが活発に。真っ赤な花をつけたサザンカの小枝の間をメジロが「ピィー、ピィー」と鳴きながら飛び交い、甘いミツを求める光景が見られた。

 佐賀地方気象台によると、今後、週末にかけて九州北部を低気圧が通過するため11日からは天気が崩れるという。

【写真】サザンカの小枝を飛び交うメジロ=佐賀市の神野公園

  


Posted by 昏君 at 08:07Comments(0)佐賀県

2008年01月08日

初窯出し

 佐賀県が誇る、二人の陶芸家の初窯出しです。


 14代今泉今右衛門
  1962年 佐賀県有田町に生まれる
  1985年 武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科(金工専攻)卒業
  1988年 京都・鈴木治先生に師事
  1990年 有田・父、13代今泉今右衛門の許、家事に従事
  1998年 佐賀銀行文化財団新人賞受賞
          日本伝統工芸展工芸会会長賞受賞
          佐賀新聞文化賞奨励賞受賞
  2002年 2月に14代今泉今右衛門を襲名
          色鍋島今右衛門技術保存会会長となる
          (財)今右衛門古陶磁美術館の理事長に就任
          一水会陶芸部 会員優賞受賞
  2003年   一水会陶芸部 会員優賞受賞 
  2004年   日本伝統工芸展 東京都知事賞受賞


 人間国宝井上萬二
  1929年   有田町生まれ。
  1945年頃  14代酒井田柿右衛門、奥川忠右衛門らに師事、白磁制作の技法を習得した。
  1958年   県立有田窯業試験場に勤務しながら磁器の成形、釉薬(ゆうやく)の研究を重ね、
          伝統的な白磁制作技法を極めた。
          「現代の名工」労働大臣表彰、日本伝統工芸展で文部大臣賞などを受賞。
  1995年   重要無形文化財「白磁」保持者に認定される。
  現在     日本工芸会参与、有田陶芸協会長。


◎佐賀新聞(2008/01/08)
 初窯の出来に満足げ 今右衛門窯と井上萬二窯


 色鍋島の伝統を受け継ぐ今右衛門窯(西松浦郡有田町)と白磁の人間国宝井上萬二さん(同)の窯で7日、仕事始めとなる「初窯出し」があった。昨年末から焼成した作品は上々の仕上がりで、幸先のいい新年のスタートを切った。

 今右衛門窯では、「雪花(せっか)墨はじき」技法の花器、初挑戦のひな飾りのミニチュアなど計400点を焼き上げた。14代今泉今右衛門さんが文様の発色を確かめ、納得した表情を浮かべた。今右衛門さんは「(雪花墨はじきの)白化粧のあがりがいい。今年は窯の仕事を充実させたい」と抱負を述べた。

 井上さんは、白磁の大皿や花器など計200点を職人とともに窯から取り上げ「思った通りに仕上がっている」と満足げ。作品は、3月の東京での個展を皮切りに全国で披露する。派遣教授を務めるニューメキシコ州立大学で指導するため渡米を予定しており「忙しい1年になる。心も体も引き締め(作陶面で)さらにステップアップしたい」と意気込みを語った。

【写真-1】墨はじきの作品の出来に満足げな14代今右衛門さん(右から3番目)=有田町の今右衛門窯


【写真-2】窯から取り出した新作を点検する井上さん=有田町の井上萬二窯
  


Posted by 昏君 at 21:11Comments(0)佐賀県

2008年01月07日

ヒョーケンギョー


 今日は「ヒョーケンギョー」、地区の遊園地に小・中学生と父兄が集まっていました。

 正月七日はヒョーケンギョーゼックともいい、オニビタキとも言う。行事は全て小・中学生だけで行っていた。
 前日の正月六日に、各家を訪問し「ヒョーケンギョー藁をもらいに来た」と言って藁を一、二把もらって歩く。各家でも「藁取りに来るばいね」と、準備している。
 真竹と、中心に使う孟宗竹を、個人の山から持ち主に告げずに、勝手に切ってくる。薪も個人の山から黙って取ってくる。また、炭焼きで不要になる小枝ももらってきていた。切るのは上級生である。
 また、原野に自生しているカンネカズラ(葛:クズ)取って来て神社の湧き水の小池に浸けて置き、保存してする。これは、カンネカズラのツルを腐らせて、繊維質だけを取り出すために行う。この繊維で集めてきた竹の芯に集めてきた藁や薪・小枝を、縛り付ける。
 
 今は、チップ材の屑をもらって、子供クラブの役員と小・中・高校生がしている。昭和60年代まではヒョーケンギョーに参加出来る者は中学生までだった。
 作る場所は、原発道路沿いの遊園地、昔は地区の真ん中の田圃や道路などだった。そこに円錐形の竹と薪と藁の建築物を作る。
 正月六日には作り上げ、七日の晩(夕方薄暗くなったころ)に、火を点けていた。
 家によっては冬のうちに荒神様の藁エビを作り、前年のと取り替えておき、古いのはヤマの隅にでも置いておく。この藁エビや、注連飾る、ワカキムカエの木、門松などを子供に持たせて行かせ、ヒョーケンギョーで一緒の燃やす。トシギはくべないという。
 大人は見に来る人が少々いた程度で、ヒョーケンギョーは子供だけの行事だった。この火にあたると一年中風邪をひかないという。
 子供達はヒョーケンギョーをしながら、その火で餅を焼いて食べていた。正月に供えた餅を下げてきて、焼けて倒れた竹の先端を尖らせて、モチヤキとかモチサシと称する竹串を作り、これに餅をさして焼いたり、火勢が弱まったらオキ(燠)を手前によせて、石を両側に置いて上に金網を渡し、餅を載せて焼いていた。その場でも食べたし、家にも幾つか持って帰る。この火で焼いた餅を食べると家内繁盛など御利益があると言い、牛にも与えていた。モチサシは、餅を焼いたら火にくべてしまう。
 後片付けは、現在、子供クラブの役員と子供達で行っている。昔はある程度消えるまで、上級生が残っていて、焼いた後に土を被せていた。燃え残りはほとんど無く、灰が残る程度だある。燃え切るまでの間は、神社の蘇鉄の実を取ってくる「肝試し」等して時間を潰した。田で行っていたころは、灰は田に撒いて肥料代わりにしていた。
  


Posted by 昏君 at 21:15Comments(0)佐賀県

2008年01月06日

武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり

 タイトルの言葉は、肥前国鍋島藩藩士の心得『葉隠(はがくれ)』に記された有名な文言です。
 外様大名として、戦国時代から明治維新までを生き抜いてきた『佐賀鍋島藩』の理想の武士道を提示したものです。
 決して死を奨励している文言ではありません。
 『葉隠』の口述者『山本常朝』自身もこう語っています。

 「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」

 その『葉隠』の精神を後世に伝えるるのが、『葉隠太鼓』です。
 現在も佐賀市の『牛島天満宮』で新年初打ちが行われ、子どもたちも「子供葉隠太鼓」のメンバーとして1曲ずつ演奏します。


◎佐賀新聞(2008/01/06)
 葉隠太鼓初打ち 佐賀市の牛島天満宮

 葉隠太鼓保存会(原口藤樹会長、23人)の新年初打ちが3日、佐賀市東佐賀町の牛島天満宮であった。近くの人たちが見守る中、勇壮で息の合った太鼓を披露した。

 同保存会は循誘小校区の有志を中心に活動しており、今年で結成33年目。同天満宮内には2006年4月に練習場が設けられ、活動の拠点となっている。

 初打ちは練習場を開放して行い、「子供葉隠太鼓」の子どもたちとメンバーらが1曲ずつ演奏。冷え込みを吹き飛ばす迫力のバチさばきに、集まった人たちは新年の願いを託して拍手を送った。同保存会は福祉施設などでボランティア演奏を続けており、原口会長は「今年も活動を頑張りたい」と話していた。

【写真】新年の願いを託して初打ちを披露する葉隠太鼓のメンバー=佐賀市の牛島天満宮

  


Posted by 昏君 at 10:16Comments(0)佐賀県

2008年01月04日

ラスカルは凶暴?

 『アライグマ』と言えば、『あらいぐまラスカル』を思い出しますね。でも、『アライグマ』は結構凶暴なんです。
 最近はペットとして飼われていた『アライグマ』が逃げて野生化し、繁殖して増えているそうです。そのために『特定外来生物』にしていされています。その被害は等々、佐賀県にまで及んできました。イノシシなどと相まって農家にとっては、深刻な問題です。
 因みに近年の研究では野生の『アライグマ』は、食べ物を洗ってから食べるようなことは一切しないそうです。


◎佐賀新聞(2008/01/03)
 佐賀県内でアライグマ捕獲増加 果樹被害も

 伊万里市や西松浦郡有田町などを中心に、アライグマの捕獲が増加している。ペットとして飼われていたものが、野生化して繁殖しているとみられ、ブドウやナシなど農作物の被害も発生。県は専用捕獲器を購入するなど、警戒を強めている。

 アライグマは北米原産で、成獣は体長50―60センチ。鋭いツメがあり、性質も凶暴なため危険性が高いという。北海道や本州では以前から農作物の被害が出ていた。

 このため、環境省は2005年に飼育や輸入を原則禁止する「特定外来生物」に指定。九州では佐世保市で被害が確認されており、長崎県側から県内に入ってきたのではないかとみられている。

 県生産者支援課によると、県内では2005年度に初めて10頭の捕獲報告があり、06年度は21頭に倍増。伊万里市が大半を占めるが、鳥栖市でも1頭が捕獲された。同課は「鳥栖市で捕獲されたことからみて、生息域はかなり広がっている」と推測する。

 アライグマは雑食性で、木登りができる。今のところアライグマによるものと特定した農作物被害の報告はないが、地元の人の話ではブドウやナシなど、果樹を中心に食い荒らされる被害が出ているという。

 県は06年4月、外来種規制条例を施行し、アライグマも対象として対策に乗り出した。これまで捕獲されたのはイノシシ用のわなにかかったケースがほとんどだが、柵のすき間から逃げられる場合もあり、専用の捕獲器を導入。今春から猟友会の協力を得て、伊万里市などに設置する。

 県環境課は「オオカミやクマなどの天敵がいないため、繁殖拡大の可能性がある。捕獲に力を入れながら、状況を注視したい」と警戒している。

【写真】イノシシ用のわなにかかったアライグマ。今春からは専用の捕獲器も設置する=西松浦郡有田町

  


Posted by 昏君 at 21:45Comments(0)佐賀県

2008年01月02日

古の湯「嬉野温泉」

 『嬉野町』はお茶と温泉で有名な観光地です。2006年1月1日に隣の藤津郡塩田町と対等合併し、市制施行し消滅した。新市名は『嬉野市』で、庁舎位置は現在の塩田町役場にあります。

 温泉の歴史は非常に古く、神功皇后の西征にまで遡る。その帰途に白鶴を見付けたが、傷を負っていて心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをすれば、再び元気に去っていくのを見て「あなうれしの」と感想を述べたという。嬉野という地名は、この逸話に因るという。

 その『嬉野温泉』が「第21回にっぽんの温泉100選」(観光経済新聞社主催)で、19位に選ばれました。何だ19位かとお思いでしょうが、佐賀県では過去最高位です。これでも“うれしいのー”です。


◎佐賀新聞(2007/01/01)
 「温泉100選」で嬉野19位 過去最高位の評価に

 旅行業者など“旅のプロ”が人気投票する本年度の「第21回にっぽんの温泉100選」(観光経済新聞社主催)で、嬉野温泉が過去最高の19位に入った。前年度から一気に10ランク上がり、嬉野温泉旅館組合は「美肌の湯を全面に打ち出す近年の取り組みで、泉質の良さが浸透してきた」と分析する。また、古湯温泉が87位にランクイン、初の100選入りとなった。

 温泉100選は全国の旅行会社やJR、航空など運輸業者を対象に実施。総投票数は3604票で1位は草津(群馬)となった。2位は由布院(大分)、3位が黒川(熊本)で、指宿(鹿児島)と別府(大分)を含め九州勢は4温泉地がベスト10入りしている。

 嬉野温泉は第1回(87年度)以降、すべて100選入りで30位台を中心に推移しており、これまでの最高順位は第11回(97年度)の28位。06年度はそれに次ぐ29位で、本年度の30位内の温泉地では最も高いランク上昇だった。九州では12位の雲仙(長崎)に続き6番目となっている。

 雰囲気、知名度、泉質、施設の完備などの4項目の中から選ぶ推薦理由別では、泉質が14位で上位になっている。同組合では近年、「日本3大美肌の湯」をコンセプトにしたイメージ広告を展開。また、温泉がナトリウムを多く含む重曹水で、皮膚をなめらかにするなど泉質、効用をパンフレットに詳しく記載してブランド力の強化を図っており、その効果が出ているようだ。

 同組合の山口保理事長は「改築する旅館があったり接遇で好評を得るなどハード面、ソフト面は着実に向上している。今回の躍進を新たな利用客の呼び込みにつなげ、来年はベスト10入りを目指したい」と話す。

【写真】長崎自動車道嬉野インターで嬉野温泉を紹介する看板。温泉100選では19位に躍進した=嬉野市嬉野町

  


Posted by 昏君 at 00:16Comments(0)佐賀県